今日ニュースで 滋賀の看護助手が 勤務先の病院で 患者を殺害していないのに 殺害したと供述して 殺人罪で服役後 自分は殺していないのに 殺してしまったと 嘘の供述をしてしまった。と 訴え 再審が認められたという 話をテレビ番組で見た。
ニュースの内容は 取り調べを受けている最中に 殺っただろうと 執拗に詰め寄られもう 早く楽に成りたいとか 言っても信じて貰えないと思ってしまった事や 違っていても そうしたと供述せざるを得ないシチュエーションに流れを持って行かれた背景が有ったとの事でした。そういう人を供述弱者というらしい。それって私と同じだと思え 自分の事を言われているような気持ちに成りました。
私も幼い子供の頃から 冤罪を 強い口調で言われているうちに していないのに したと供述してしまった 歴史を思い出し 胸が一杯になるのを感じました。
幼稚園の時に 友人がやった事を 自分に擦り付けられ 最後には自分がしてしまったと 嘘の供述をしてしまい悔しい思いをしたのが始まりです。
それは 生い立ちの中で 些細な事とはいえ なぜか続いてしまった事を心の傷として今もなお トラウマとなって残っています。
大人となり この年になっても 不安はあり、人から強く決めつけられて 言われるとタシタシになり 違うと 言い切る事が出来ずこのニュースの内容に近い状態になります。私は人を殺してしまったような大きな事と比べると よっぽどましな内容ですが こんなシチュエーションになると こんな状態になります。
詳しくはここに書けませんが やはり こんな年になっても 有った訳です。
そういう事が有った時に、私を陥れた人を私は心のどこかで念力にも似た 自分でも説明がつかない沸き上がる気持ちで 「そんな事をしたら、あなた自身に私にやったと同じ報いがある」と、知らず知らず、まるで、祈祷師のように思ってしまった。
偶然と思いたいのですが 私を陥れた人は次々と 何らかの 支障が有り ついに一番ひどい人は 亡くなられたりしたので 偶然と思いながらも 自身自身でも気持ち悪くなり あまり思わないようにしようと考えるようになっています。
ただ 平成28年10月28日を持って その日を境に 私は供述弱者を克服したのです。あるお寺のご住職の話を聞いてからです。
私は 昔有った いろんな事を 過ぎ去った出来事と捉えるようになり 自分に関わる全ての人が幸せに成る事こそ自分に幸せをもたらす 一番大切な事だと 心から思っている自分がいます。
人を恨んでも負の連鎖しか生みません。
人の不幸を見るのは嫌な事です。
自分がした事は 人を騙しても自分を騙す事は出来ません。
正々堂々と 胸を張っていられる自分になること が 陥れられない最大の防御です。
供述弱者から 今の私が感じる話でした。