こんな所に暗い話を書くのはどうかとも思いましたが 書かせて頂きます。
私に何かと厳しく でも 優しかった母が 5月31日天国に旅立ちました。
5月27日 昼間に 病院に連れて行って欲しいと母から電話が有りました。
私は 仕事が沢山入っていたため それを伝えると 「わかった、タクシーで行く」と答えました。
本来16:30には通常サービスの予定は終わりのはずでした しかしこの日は 16:45から一つ飛び入りの業務を入れていたので行きました。
しかし 問題は ここから 先ほどの飛び入りとは別に 急な依頼が入りました。
これを行くと 母を見に行った場合 万が一病院に行ってないとしたら 行けなくなると 思いましたが きっと自分でタクシーで行っているだろうと言う気持ちがあり しかも 執拗に 今から来て欲しいと依頼され 業務に行きました。
終了して帰ると 19時45分くらいになっていました 私は我に帰り 母に 念のための電話をしました しかし何度もかけても 母は電話に出ません しかし しつこくかけ 4回目 か細い声で 応答。「病院に行って来たかのか」と確認。 驚きの答えが 帰って来ました。
「行けんかった」っていう回答。
嘘 まさか 直ぐ行くといいおいて 電話を切る。
我が家から45分はかかるため 母宅に近い従兄弟に 理由を話行ってもらった。
私が着いた時は 既に救急車に 母が運ばれた タイミングでした。
しかし 私はこの時 まさか 死に至る予想はしておらず きっと簡単な処置を受けたら帰って来ると思いました。
病院について 長引く時間 時間は 28日を迎えていました。
主治医の話が有りました。 耳を疑う話でした。 今日が峠で 直ちに手術が必要との説明。
朝7時に及ぶ手術が終わり 取り敢えず 一命は取留ました。
こから治療を開始しますとICUに入りました。
良くなるのか 悪化しているのか解らないまま 3日がくれました しかし 無残にも5月31日 に日付が変わる頃 急変したと連絡が入る。
急いで病院に行くも 母亡くなりました。
27日朝に 元気に話をしたと 近所のおばさんの話 26日には買い物に行き 散歩までしていたのに…。
凄くあっけ無い 終わりを迎え 家族は 受け入れられません。
まだ 母は普通に家に居る気がします。
私が もっと早く 病院に行っているか確認しなかった事を 後悔します。
まさか こんな事になるとは思わない 甘さが有りました。
もう時間は前には戻りません。
私の人生で いろんな局面で 心の 支えとなってくれた 母に感謝の気持ちで一杯です。
ご拝聴ありがとうございました。
皆さん 親は生きている間に 大事にして下さい。