神戸市西区・垂水区・明石の障害者専門ヘルパー派遣事業所のライフデザインです

進藤ライフデザイン

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7月7日


今年も七夕の季節がやって来ました。

我が家は あまり笑えないけど 彦星と織姫の出会いがありました。

と 言うのは 母の四十九日が執り行われ お墓に母の遺骨を納めました。

普段開けない 納骨扉を開けたら 白布の父の日遺骨がありました。

くしくも 七夕の季節に 父と母は 7年11月ぶりのご対面をした訳です。

お父さん 私らは嬉しく無いけれど あなたは良い七夕になりましたね。

そんな気持ちで母を納骨しました。

私達が知らない所で 楽しく 過ごして下さい

これからも お母ちゃんを大事にしてあげて下さい。




2016-07-06 10:59:01

うちの 犬くん



仕事や母の事で一杯一杯の時 何気に私をフォローしてくれるのは 愛犬の りき です。
うちにやって来たのは平成18年の10月12日 もうすぐ10年になる。(生まれは9月1日です。)
犬くんとの出会いは ブリーダーさんの家に 住宅改修で入っていた時 生まれてまだ1ヶ月の時でした。
一通り仕事が 終わり帰る前 彼と目が合い自然に 寄って行き 眺めていたら 「触ってみますか?」と言われて だっこしていたら 放せなくなりました。

すると 「そんなに可愛がってくれるなら、連れて帰ってやって下さい」

そう言われて 衝動的に 連れて帰ってしまいました。

仕事で来なければ 犬くんとの出会いはありませんでした。

犬も行きたがっているからと ペットショップへの卸値でお代をお支払しました。
今 思い出すと 私が会社を立ち上げたのが18年9月15日 まだ住宅改修だけをしていた頃の事です。

あれからもう10年か… いろいろ ありました。 私が会社を始めてから りき と 共に歩んで来たんだなと思います。

母の事も りきの顔を見てたら少し 和らぎます。

いつも ありがとう

2016-06-26 11:24:02

移動支援で父の日のプレゼント



土曜日に利用者さんの移動支援で 須磨水族園に 行って来ました。 お天気はまずまず 暑いくらいでした。 水族園に行くのは何年ぶりだろう 懐かしくも感じました。
さんの移動支援は遊びに利用して下さるから 王子公園や天文科学館 懐かしい場所に 行けるから 少し楽しめたりもします。

イルカライブは楽しさを 体全体で表現されていました。

本日の特ダネは 普段お父さんには全く感心なさそうな 利用者さんに 明日 お父さんの日だよと その意味を何度も お話をしたら 何と 父の日のブレゼントを 買うって 言うんです。
一緒に選んで差し上げました。
最初は ちょっと 違うかな… を 言われてたけど 最後はドンピシャのお品を選ばれたから 早速お会計しました。
さんのお父さん 喜んでくれたかな。
2016-06-20 18:03:02

何か違う日々


母の死から12日が暮れました。 何かいつもと違う日々を過ごしています。
何が違うのか具体的には 表現出来ません。
いるはずの人が居ないと やはり 違うんですかね。

病院に連れて行って欲しい依頼の電話がなく サテライトについた郵便受けの内容を連絡してくれる事もなくなり その内に慣れるのかな。

仕事はその後 普通に相変わらず 忙しい毎日です。こっちは完全に 前と同じようになったと思います。
でも 想像した以上に 受け入れ られてないんだと気がついています。

その内 きっとその内そう信じて。


2016-06-12 13:04:01

母の旅立ち


こんな所に暗い話を書くのはどうかとも思いましたが 書かせて頂きます。

私に何かと厳しく でも 優しかった母が 5月31日天国に旅立ちました。

5月27日 昼間に 病院に連れて行って欲しいと母から電話が有りました。

私は 仕事が沢山入っていたため それを伝えると 「わかった、タクシーで行く」と答えました。

本来16:30には通常サービスの予定は終わりのはずでした しかしこの日は 16:45から一つ飛び入りの業務を入れていたので行きました。
しかし 問題は ここから 先ほどの飛び入りとは別に 急な依頼が入りました。
これを行くと 母を見に行った場合 万が一病院に行ってないとしたら 行けなくなると 思いましたが きっと自分でタクシーで行っているだろうと言う気持ちがあり しかも 執拗に 今から来て欲しいと依頼され 業務に行きました。
終了して帰ると 19時45分くらいになっていました 私は我に帰り 母に 念のための電話をしました しかし何度もかけても 母は電話に出ません しかし しつこくかけ 4回目 か細い声で 応答。「病院に行って来たかのか」と確認。 驚きの答えが 帰って来ました。
「行けんかった」っていう回答。
嘘 まさか 直ぐ行くといいおいて 電話を切る。
我が家から45分はかかるため 母宅に近い従兄弟に 理由を話行ってもらった。
私が着いた時は 既に救急車に 母が運ばれた タイミングでした。
しかし 私はこの時 まさか 死に至る予想はしておらず きっと簡単な処置を受けたら帰って来ると思いました。

病院について 長引く時間 時間は 28日を迎えていました。

主治医の話が有りました。 耳を疑う話でした。 今日が峠で 直ちに手術が必要との説明。

朝7時に及ぶ手術が終わり 取り敢えず 一命は取留ました。
こから治療を開始しますとICUに入りました。
良くなるのか 悪化しているのか解らないまま 3日がくれました しかし 無残にも5月31日 に日付が変わる頃 急変したと連絡が入る。
急いで病院に行くも 母亡くなりました。
27日朝に 元気に話をしたと 近所のおばさんの話 26日には買い物に行き 散歩までしていたのに…。
凄くあっけ無い 終わりを迎え 家族は 受け入れられません。
まだ 母は普通に家に居る気がします。

私が もっと早く 病院に行っているか確認しなかった事を 後悔します。

まさか こんな事になるとは思わない 甘さが有りました。

もう時間は前には戻りません。

私の人生で いろんな局面で 心の 支えとなってくれた 母に感謝の気持ちで一杯です。

ご拝聴ありがとうございました。

皆さん 親は生きている間に 大事にして下さい。


2016-06-04 12:01:01

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